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チャレンジ精神で可能性は無限大!
~トマト農家&市議会議員として「高野町を元気にしたい」~

トマト農家・市議会議員

前田賢治さん・智永さん

仕事に追われる生活に疑問を持って…
サラリーマン生活にピリオド

前田賢治さんは、実は高野町出身。学校を卒業後は飲料メーカーに就職し、広島市内エリア・呉エリアを中心に、20年間勤務されていました。

賢治さん「その後、三次市に転勤となったのをきっかけに、高野町にUターンしたんです」

奥様の智永(ちえ)さんとはその年に結婚されたそうです。ちなみに智永さんは、広島市安佐南区出身。両親が庄原出身のこともあり、いつか西城町あたりに移り住んで、理容師の資格を活かした仕事をしたいな、と考えていたそう。

智永さん「仕事が大好きだったんで、結婚にはあまり執着がなかったんですが(笑)、主人との出会いを機に高野に来ることになりました。人生、何があるかわからないですよね」

高野町に移住してから約5年間はサラリーマン生活を続けていた賢治さん。朝早くに家を出て、お子さんが眠ってから帰宅する毎日。土日は疲れた体を休めるのに費やす日々だったのだとか。

賢治さん「毎日クタクタになって帰っているうちにふと、『このまま定年を迎えて後悔しないのか?』と自問自答するようになりました」

そんな賢治さんの目に映ったのが、高野町で農業を営む同級生たち。毎日自然の中で、会社の規則に縛られることなく過ごしている彼らの姿が、とてもまぶしく見えたんだそうです。そんな同級生の姿に触発された賢治さん、農家に転職することを決意。会社を辞めた次の日から早速1年間の農業研修に入りました。その頃智永さんのお腹には二人目のお子さんが。

智永さん「転職に反対はしませんでしたが、農業は厳しい仕事だと思っていたので『生活は保障してね』と伝えました(笑)」

高野町に移住してから、新道路の開通や道の駅の開業などで、さまざまな会合に出席する機会の多かった智永さんは、高野町での暮らしに溶け込んでいたため、少々生活が変わっても大丈夫、という自信があったのだそう。

智永さん「いざとなったら私も手伝えばいいかな、と。例え夫の仕事が変わったとしても、そのときそのときに最善の行動をとれば、高野でならなんとかなる、と思えたんです」

やるからには「新しいこと」を!

高野町では新しいトマト農家に挑戦農業を始めるにあたり、賢治さんが選んだのはトマト。

賢治さん「高野町はりんごや大根、というイメージが強かったんですが、Uターン後はトマト農家が増えている印象を受けたんです。それに、りんごは新規で始めると収穫まで5~8年かかってしまう。その点トマトは1年で作れますし、年間を通してスーパーの売り場から消えることはない。加工需要もあります」

総合的に考えて、トマト農家になる、という決断を下した賢治さん。ここでまた新たな試みにトライします。それは、「トマトの水耕栽培」

賢治さん「高野町では、トマトを水耕栽培する人がいなかったので、どうせなら新しいことをしてみよう、と思い、土ではなく水で育てる方法を選び増した。それに、実は水耕栽培のトマトって、実が多くなるし、甘くて美味しいんですよ」

スキー、民泊、レストラン…やりたいことをどんどん実現!

賢治さんが高野に戻って新しく始めたことがもう一つあります。それが、スキー。

賢治さん「春から秋にかけては農業、冬はスキーを生業としています。実は2歳からスキーをしていたので、腕に覚えありで。サラリーマン時代はスキー部に所属して、監督もしていました」

しかし、まもなくスキー部は廃部になってしまい、スキーに関わることができなくなってしまったのだそう。

賢治さん「高野町に戻ったら思う存分スキーに関われる、と思いました。それも移住を決めた理由のひとつなんです」

現在賢治さんは、広島県スキー連盟のアルペン委員長として、アルペンスキーの強化選手育成に力を注いでいます。シーズン中は、合宿やインターハイ、ジュニアオリンピックなど、さまざまな大会の引率もしているそうです。

賢治さん「小さなころから地元の人たちに見守られながら、地元の人たちと一緒にスキーをして育ってきました。今はその恩返しの気持ちも込めて、スキー事業にも力を注いでいるんです」

賢治さんと同じく、智永さんも、高野町に移住してからさまざまなことにチャレンジしています

智永さん「高野町で3人の子どもを育てながら、さまざまな仕事を経験しました。保育士の補助や診療所の手伝い、道の駅での食品加工やレジ打ち。調理にも携わったことから、調理師の資格も取得しました。夫が農業を始めるタイミングで、簿記の資格も取りました。あと、夫の母がずっと民宿を経営していたのですが、飲食店もすることになったんです。その際に、加工品、特産品、メニュー開発を担当しました」

そして、賢治さんと智永さんは、合同会社を設立!

智永さん「夫婦で、『やりたいことは自分たちでやろう!』と話し合って会社を立ち上げました。現在は、農業・飲食業・加工業・民泊業・理容業・訪問理容師、スキーと、家族でさまざまなことにチャレンジしています」

「やりたいことで地域貢献」できる喜びを胸に

高野町に来てから、「やりたいことで地域貢献」できている喜びを実感している…とお二人は話します。

賢治さん「サラリーマン時代は、やりたいことがあっても『仕事があるから』『時間がないから』とやる前から『できない理由』を探して諦めていました。でも高野町に戻ってからは『これをやるためにどうすればいいか』と、『できる方法』を考えるようになったんです」

さらに、賢治さんは、農業の素晴らしさ、奥深さを日々感じていると話してくれます。「僕は、『生活のため』に農業をしている、とは思っていません。農地を守って、人々のために作物を育てる農業って、すごい地域貢献だと思うんです。高野町のために農業ができるってすごいことだなって、日々実感しています」

一方智永さんも、「私が高野を元気にしたい!」という思いで日々奮闘。なんと現在は、市会議員として活躍しています。

智永さん「高野町で色々なことに挑戦するにつれ、『私が高野を元気にしたい!』『子供がいるからこそ、地域のために何かをしたい!』という思いが強くなり、市会議員に立候補したんです」

市会議員としての智永さんの目標は、住民と市や県の橋渡し。

智永さん「高野町で暮らす人たちの『こうしたい』を精一杯叶えて、みんなに『高野町は、願いが実現できるところだ』と思ってもらいたいんです。そうしたらきっと、地域の人たちが、何かをしたいと思ったら、真っ先に行動できるようになる。そして、よりよい高野の暮らしを実現するために、市や県への協力が必要になったときは、私が「つなぐ」役目を担いたいんです」

「お互い様」で地域交流。高野町は子育て世代にぴったりの場所

ここで、賢治さん・智永さんに、パパ・ママ目線で見た高野町の印象を聞いてみましょう。

智永さん「高野町は、地域全体で子育てができる場所。みんなの顔がわかるので、地域の人たちがみんな、子供たちのことを気にかけてくれています。それに、自然がすぐ近くにあるのも高野町のいいところ。散歩がてら軽装で山や川に入って遊んだり(笑)。畑の野菜を子供たちに収穫してもらって、すぐに調理して食べたり。子供たちは毎日、自然からいろいろなことを学んでいると思います」

賢治さんも、高野町の子育てしやすさには、太鼓判を押します。「誰かが我が子を見ていてくれる…高野町にはそんな安心感があります。ただ見守るだけじゃなく、悪さをすればちゃんと叱ってくれるのもありがたいですね。それに、高野町は『お互い様』で子育てができる場所。我が子が他の家にお世話になるときもあれば、うちが他の家の子どもを預かることもあるんです」

こうした、「お互い様の子育て」が、地域の人たちとの交流に繋がっている…と語る賢治さん。先日、広島在住の弟家族と会った際に、こんなエピソードがあったそう。「弟の子どもとうちの子どもが、『友達は何人いる?』って話いたんです。弟の子どもの小学校は、1,000人規模のマンモス校にも関わらず、友達はほんの数人。一方うちの子の学校は、全校生徒が60名ほどなんですが、全員が友達だ、って。弟は、『子供にとって本当に有意義な環境だね』と感心していました」

大切なのは「一歩を踏み出すこと」。自然と共に暮らす喜びを感じて欲しい

最後におふたりに、移住を考えている人たちに向けて、一言メッセージをいただきました。

智永さん「高野町はいつ見ても同じ景色がないんです。自然が織りなす風景は、毎日変化して、とても美しい。中でも冬場に除雪でできる雪の壁は幻想出的で大好きです。冬の厳しさや地域の習わしなどもありますが、それ以上に『自然に囲まれて暮らしたい』『地域の人たちとつながりを持ちたい』という思いが強い人には、最高の場所だと思います」

賢治さん「田舎暮らしにあこがれる人は多いと思いますが、大切なのは、そこから一歩踏み出してみることだと思います。迷っている方には、高野町での暮らしの具体的なイメージを描くお手伝いができるので、いつでも相談してくださいね」