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「高野町の自然は農業には最高です」…
高野町でしか作れない美味しさを求めて

高野ぼちぼち農園

渡邉拓昭さん

会社員から農家へ転身。関東近郊で農業をするつもりが…

渡邉拓昭(わたなべ ひろあき)さんは、2012年3月に高野町へと移住。「無農薬・無肥料」にてお米や野菜、シイタケを栽培する「高野ぼちぼち農園」のオーナーとしてご夫婦で農業をされています。

「高野ぼちぼち農園では、主にインターネット販売を通じ、さまざまな農作物を消費者の方へ直接お届けしています」農園を開園当初はご夫婦の人脈を活かして販売していたそうですが、徐々に口コミが広まり、今では全国各地からの注文・問い合わせが寄せられています。

そんな渡邉さん、実は農業を始めたのは35歳の時。もともとは会社勤めをしていた渡邉さん、35歳になったのを機に一大決心。脱サラをして、以前から興味があった農業関係に転職、茨城県の有機栽培農園で約5年間働きました。
「農園で、有機栽培や無農薬について学ぶにつれ、農家として独立したい…という思いが強くなっていきました」

40歳になった時に、独立を決意した渡邉さん。当時住んでいた場所が茨城県、また実家が千葉県だったこともあり、当初は関東近郊で農業をはじめる予定でしたが…。

「2011年3月に東日本大震災が起こって…。近所の公園の放射線量が上昇するなど、私が住んでいる地域は、原発事故の影響を大きく受けてしまったんです」
この出来事がきっかけで、「有機栽培や無農薬農法を安心して行える土地を探そう」と決意したそうです。

「気候」、「人」、そして「勢い」…高野町移住を決めた3つの決め手

とはいえ、すぐに「高野町に移住しよう」とはならなかった、と渡邉さん。移住を決めてから約1年間、さまざまな土地に足を運んだそうです。
「米農家を目指していたので、美味しい米どころを探していました。ところが、なかなか『ここだ!』という場所に巡り合えず…。そんな時にふと、会社員時代の先輩の故郷『庄原市高野町』のことを思い出したんです」

その先輩は、ことあるごとに渡邉さんに「高野町の素晴らしさ」について語っていたそう。そんな先輩の話を思い出した渡邉さん、さっそく高野町へと見学に訪れます。

「高野町を訪れ、農家を営んでいる方とお話させていただきました。そこで、高野町が、日本一の米どころ・新潟県とよく似た雪深い気候であることを知ったんです。また、実際にお米も食べさせてもらい、その美味しさに感動。『ここなら美味しいお米が絶対に作れる』と確信が持てました」

また、高野町を訪れるにあたり、事前に先輩に相談したところ、町会議員の人や農業委員の人を紹介してもらえたのも大きかった…と渡邉さん。
「人とのご縁を感じることで、『自分は高野町に住むべきだ』という思いがさらに強くなりました。あとは、直感というか、勢いです(笑)」

気候・人・勢い、この3つに後押しされた渡邉さん、いよいよ高野町移住を決意します。

「高野町は全く知らない土地でしたが、ここは流れに身を任せよう!と思いました。妻も関東出身で、高野町には縁もゆかりもありませんでしたが、反対することなく、当時勤めていた仕事を辞めてついてきてくれました」

こうして全く知らない土地での、夫婦2人3脚の「農家生活」がスタートしたのです。

結果は…期待以上!高野町の自然に感謝

農業をスタートした当初は、「試行錯誤」の日々だった、という渡邉さん。
「私は、炭素循環農法という、農薬や肥料を使わず、自然(特に土壌の微生物)が本来持っている植物を育てる力を田畑で再現する農法を実践しています。有機肥料で作物を育てる有機栽培とは大きく違った農法なんです」

渡邉さんは、時間があれば作物や田畑と向き合い、高野町の気候や農地、地質を研究し、「最適な環境作り」を模索しています。
「誰かに教わったり、文献を読んだりしてもそこには答えはない、実際の田畑に向き合うことでしか答えは見えてこない…そんな農法です。結果を出すには高野町ならではのやり方を見出す必要がある、そう思います」

では、現在の「成果」は…?
「まだまだ自然本来の力を発揮してもらっているとは言い難いのですが、期待通り、いや、期待以上に美味しいお米や野菜が育ってくれていますね!これからも高野町に合った方法で生産量を増やし、一人でも多くの方に美味しいお米や野菜をお届けしていきたいです」

雪深さや寒暖差…高野町の気候は「唯一無二」

高野町は、山深い場所にあるからこそ魅力的だ、と渡邉さんは語ります。
「山深い高野町は、四季がはっきりとしています。冬は70cmから多い時は2mも積雪があるんです。そんなにも雪が積もれば、『こりゃ仕方ないな』と心おきなく農作業を休める。春から秋はしっかり畑仕事、冬は少しの出荷作業や味噌づくりなどのんびりと過ごします。季節ごとにメリハリのある暮らしができるのは、高野町ならではですよ」

1日の気温差も素晴らしい、と渡邉さん。
「特に夏場は、夜は10℃、昼は30℃と、朝晩の気温差が20℃近くになることも。この気温差が、お米や野菜を美味しくしてくれると思っています。気候は人の手でコントロールできません。だからこそ、高野町の気候は、最高の『自然の恵み』だと思うんです」

大切なのは「独立心」と「人との繋がり」

ここで渡邉さんから、高野町へ移住を考えている人へのアドバイス。
「高野町は農業をするにはとても素晴らしい自然環境が備わっています。ただ、これは私の個人的な感想ですが、『誰かに頼ればなんとかなる』という依存心を持っていると、難しい土地だと思います」

移住を成功させるために必要なのは『自分で何とかしてやる』という気持ちだ、と渡邉さんは語ります。
「とはいえ、独りよがりになるのではなく、地域の人との繋がりを大切にしてほしい。農業は地域の人たちの支え無しには決して成り立たないものです。高野町の人は良いも悪いも最初は厳しく、手を差し伸べてくれる人は少ないかもしれません。でも、地域の人と丁寧に接し、性根を据えて真剣に取り組んでいれば、必ず認めてくれて、応援してくれます。

「私自身、最初は農法の研究に没頭するあまり、地域の人との交流が疎かで溶け込むのに10年という長い歳月を必要としてしまいました。ここ数年は青年会の幹事をしたり、共同作業の場に積極的に参加したり…。農法は頑固に、人付き合いは柔軟に。これが最近の私のモットーですね(笑)」

移住してから10年、今ではすっかり高野町に馴染んだ渡邉さん。プロ野球のシーズン中はカープ談議で盛り上がったり、地域全体で行う作業は「戦力」として駆り出されたりするようになったのだとか。

「重ねて言いますが、独立心をもつのと孤立するのは違います。独立した人たちがそれぞれの得意分野を発揮し、お互いにより良くなるように助け合う、そんな理想的な世界があります。正直、ある程度下手こいても美味しいものが出来てしまう(笑)高野町は農業を志す方には相当オススメですよ」